jetskix2のブログ

人質司法と闘う前科者

池袋の施設生活

基本は自由だ。就寝に点呼があるが、存在確認だけだ。この人達に悪態などついてはならない。最初は若いもんと同室だったが、俺のいびきに耐えられないと訴えたようだ。すぐに俺は一人部屋になった。まあ仕方ないよね。コントロールできないし。

残ったゼニで池袋で最低限の買い物をした。多少揃った。毎日行ったのは、東武にある百均だ。あとは贅沢して、博多天神でラーメン食ったり、南池袋公園でチューハイ飲んだりした。規則で酒は駄目だけどね。

そうこうしているうちに、職員からいい加減に働いてくれと言われた。そう言われても、還暦すぎで前科者は仕事はない。ハローワークの紹介で区役所の公園管理のようなことをやったあと、船の仕事を探した。ただ、船舶免許は持っているが、ずっとそれで食っている人とレベルは違う。色々言われ、これは長くできないと思った。

施設の職員は、保護観察所から色々言われるから、とにかく何でも良いから働けというが、これは間違いだと思った。周りはみんな土方をやっていた。しっかりした仕事を見つけるべきだと考えていたが、せかされたから船で我慢した。

ただ、今はこれは違うとわかった。施設の住所は前科者が集まっている場所と誰にでもわかるわけで、ちゃんとした仕事につけるわけがない。住所を調べない、適当な仕事しかできない。満期が来て、施設を出てからアパートに入れれば、そこから初めてスタートだ。身元引受の家族がいないから、施設にいるわけで、単純に前科者というだけでなく、身寄りがないと判断されるのだから、土方しかないだろう。

こんな具合に、なんでも後からわかるものだ。

満期まで1ケ月くらいの時、なんと5舎1室の元部屋長が施設に来た。まぁ、大ぶろしきを広げる人で、パキスタン人のところに行かなくとも世話をする人はいるだろうと思っていたが、そうじゃないわけだ。こういうのが多い。つまり、大ぼら吹きのような。

この人も新宿の施設が決まっていたが、懲罰をくらったので、行けなくなったようだ。結局、満期までムショにいたとのこと。身元引受人は、仮釈放で出るために必要なわけで、引受人がいようがいまいが、満期が来れば、ムショは出ることになる。しかし、施設でも、ホラ吹いていたな。