jetskix2のブログ

人質司法と闘う前科者

10工場に行く。5舎1階の雑居に。

工場は10工場だった。過ごしやすい工場だ。オヤジは最初、ちょっと近寄りにくかったが、普通に接してくれた。次の日「事件記録を見たよ。たかが数十万の給料でこうなるのは納得いかないかもな」と言ってくれた。俺としては、このオヤジで助かった。もっとも、俺は普通のサラリーマンだから、逆らうわけもなし。この関係は釈放まで続いた。

部屋は5舎1階の1室だった記憶がある。部屋長ですと挨拶してきたのは、10工場の衛生係だった。同居していた女からカネを巻き上げ、詐欺で4年くらった。あとは、覚醒剤パキスタン人、覚醒剤で身体の自由がきかなくなった優しい人、コンビニ弁当を盗んだ65歳でオシメをしているおっさん。少ししてから、強盗で4年くらったヤクザ。このヤクザから色々教えて貰った。

クソも歯磨きも同じ場所だ。いざこざは起こるが、この部屋長がしっかりしきっていた。

いろいろ言う人もいるが、ムショで人のことを査定してもどうなるものでもない。最後に工場で仲良くしていたヤクザが言っていた。「ムショにくる奴は、人の面倒をみられるわけがない」と。結局、ムショでは先に出た人の世話になるとか、内々で相談しているやつらが多い。このヤクザは、「そんなのあるわけねーだろう」と言っているわけで、もっともだ。

部屋の部屋長は、パキスタン人が自称金持ちだから、出たら世話になると約束していた。で、前出のヤクザと昼休憩でその話になった。「出てから訪ねて行ったら、あるはずの家がねーかもな」と笑っていた。そうかもしれない。

雑居に来たヤクザは、感情の起伏に波があったが、色々勉強になった。まず、黙秘だが、「黙秘をする権利があるというだけだ」と言っていた。黙秘で必ず有利になるわけでもない。なるほど。

拘置所に面会に来た次男とは、手紙のやりとりがストップした。元女房から何か言われたのだろうし、身元引受などを頼まれるのも困るから、返事を出さなくなったのだろう。出所してから、「そんなことない」と言っていたが、そんなことあるだろうよ。

実兄は全く連絡をくれないが、会いたくないのだろう。それを聞いたヤクザが「というより、どこの拘置所にいるとか、刑務所はどことか、調べようがない。身内だと言っても、絶対に教えてくれないですよ」と解説してくれた。それで「頼りたくなくとも、カネを差しいれてもらう必要もあるし、手紙書いたらどうですか」と促してくれた。前勤務先の顧問弁護士が、なんとか住所を調べてくれ、手紙を書いた。すぐに面会に来た。まあ、役に立った面もあれば、言っていることに腹が立ったこともあった。

民事の資料は「お前ら馬鹿じゃないか」と思うくらい届いて、持ち歩けないので廃棄願いを出して、ある程度処分した。