jetskix2のブログ

人質司法と闘う前科者

7月 控訴 棄却する

主文は棄却するだった。この高裁の裁判長は理由をきちんと読んだ。管財団などで被害者救済にあたったのはわかるが、それとこれとは別。また、他の執行猶予になった奴らとも、また別ということ。簡単に言うと。

 

待機部屋に戻ったら、国選弁護人が面会で呼び出してくれた。「お力になれなかった。やはり、最大の原因はメールかと思う。法務部長と一緒に判決を得れば、良かったのかもしれない。一審弁護士が別の人でも、結果は同じだったと思う」とのことで、その通りだろう。厚く御礼を述べた。

 

部屋に戻ると、どうでした? と聞かれ、駄目でしたと返事した。彼らは良くシステムを知っていて「そもそも、控訴理由書で棄却が既に決まっているようなものですよ。弁償していたら、執行猶予になるでしょうけど」とのことだった。

 

拘置所に戻って、公判用のジャージを返却した。刑務官らは、棄却を知っているが別にそんなもんだろうという感じだった。

控訴審

いつものようにムカデというか金魚の糞状態でつながれ、高裁の控室に入った。8畳くらいの部屋で、本がふんだんに置いてある。蟹工船を読み切った。昼はそこそこ良い弁当が出た。6人くらいの雑居待合室だが、検察の待合室よりかなり良い。

配食やカラ下げは、拘置所の衛生(受刑者がやっている)が一緒のバスで来て、やっているようだ。俺の時間が近づき、急に呼び出しがあった。面会室に連行されると、国選弁護人がいた。良くやってくれる弁護人だ。この国選は当りだ。どういう感じで進められるか、説明してくれた。わずかなゼニしかもらっていないのに、良くやってくれる。

裁判官はそこそこの年齢だった。地裁と違うな。国選弁護士は、実刑は重過ぎる、執行猶予が妥当と訴えた。検察は、やる気のなさそうな40歳くらいの検察官が一人で座っていた。特段、何も言わなかった。

要は、俺以外は全員わかりきっているが、一審が覆るはずがないということだ。

次は判決の言い渡しで、2週間後だ。国選弁護人が終わってからも面会してくれ、控訴審はこのくらい早く結論がでるものと説明してくれた。

 

軽微な罪状の奴は、想定通り執行猶予になり、部屋に戻らない。刑務官が「〇番の湯飲みをよこせ」と言いに来るから、それがわかる。部屋では若い連中がネリカンの話で盛り上がっていた。

 

国選弁護人により謎が解けた

手紙を出した後、国選弁護人が挨拶に来てくれた。やるからには、ちゃんとやりましょうと言ってくれた。この先生との手紙のやりとりで、謎がとけた。一審のクソ弁護士にも連絡をしたが、埒が明かない。そもそも、いつも電話に出ないで、必ず折り返しと言ってくる。わけがわからないとのこと。

判決文も俺が持っていないことを知り、早速コピーを送ってくれた。なんと、そこで初めて求刑が3年6カ月、罰金100万だったことを知る。当然、第何条でどうのこうのと仔細もわかった。

陳情書も書いた。そして、前勤務先の世話になっている弁護士にもかけあって、その弁護士の陳情書もとってくれた。原案を作ったが、それはさすがに拒否されたとのこと。内容がやや過激だったのか。そうこうしているうちに、控訴審が7月に決まった。

控訴審の前の最後の面会では、次のようなことを話した。弁護士曰く「証拠がはっきりしすぎている」つまり、俺が社内メールで「これは詐欺だ」と送信したことを指すのだろう。後は、他の実刑になりそうな者は、3年以上の量刑になるだろうとのこと。

ここで初めて知ったが、控訴すると未決勾留参入は2ケ月損するということだ。そういえば、新橋の弁護士会当番弁護士が「控訴はもったいない。2か月刑が長くなりますよ。一審が覆ることはない。控訴を取り下げることが得策」とね。

要は、税で言えば、基礎控除のようなもので、留置所・拘置所に勾留されていた日数も実刑に参入されるが、一審で2か月、二審で2か月は参入しませんよということだ。

やるだけやったという気持ちで、なんとか7月まで過ごした。

その間、前勤務先の顧問弁護士に元同僚の住所を調べてもらい、手紙をだした。すぐに面会に来てくれた。お菓子、本、ゼニを差し入れしてくれた。これで命がつながった。ノートやボールペン、お菓子を自由に買えた。そして、彼が最後の勤務先の同僚に連絡をとってくれた。その同僚はすぐに会いに来てくれ、次男にも連絡をとってくれた。次男もすぐに面会に来てくれた。お菓子、ゼニを差し入れしてくれた。

ただ、元同僚や次男とは、その後はしばらく音信不通になる。まあ、人間なんてそんなもんだ。他人のことをそうそう構ってられない。

控訴審までの道のり

さて、控訴をすることは決まった。高裁から弁護人選任をせよと通知がきた。一審弁護人から連絡がないので待ってくれと返事をだした。

まず、留置所で同室だった27歳が使っていた弁護士事務所に手紙を出した。数日で返事が来た。お受けできないと・・・。そりゃ、控訴審から受けるわけもないか。

元勤務先の弁護士には頻繁に手紙を出して相談した。タイムリーに返事が来る。まず弁護人だが、弁護士会の担当弁護士に連絡を取ることを勧められた。早速、刑務官に願い事でFAXをお願いした。

数日後、新橋の弁護士が来てくれた。ここで知ったのは詐欺の場合、オレオレ詐欺が流行ってきてから300万以上で実刑になるということだった。被害金額を考えると、3年で罰金80万円は検事も裁判官も優しい人だということだった。クソ弁護士とのやりとりを聞き、この状態では受任できない。その弁護士に私から、どうするつもりか聞いてみる。ついては、とりあえず受任できないと拘置所には返答しておくとのことだった。

翌日、刑務官が新橋の弁護士が受任しないという回答書を持ってきて言った。「国選しかないよね」と。

一週間以上たったか、新橋の弁護士が別件のついでで面会に来た。「一審弁護士は、同じ弁護士として許せない」とのこと。「先生、控訴審はどうされるか」と聞いたら、「高裁には自分がやりますと言ったんですけどね」という返事。「いや、選任届をださないと駄目でしょう」と言ったら、「はあ」という感じ。それで、どんな事務所か調べたら、ろくでもないとの感想。これを教えてもらっただけでも、意味があった。

前勤務先の弁護士は、高裁にも電話して色々と聞き出し、検討してくれた。結果、国選しかないでしょうということになった。当たりはずれがあるが、そもそもゼニもないのに、国選以外にできるわけがない。

やがて、高裁から裁判所で国選を選任したと通知が来た。早速、国選弁護士に手紙をだした。

前勤務先の顧問弁護士が来てくれた

思わず、開口一番「先生、わざわざ・・・」と言った。先生曰く「手紙を出そうと思ったのですが、来たほうが早いと思って・・・」とのこと。感謝。

クソ弁護士のことは手紙に書いたが、先生が「弁護士が忙しいとしても手紙くらい返信できるでしょう。その人おかしいですね」と言った。聞きたいことは山ほどあるが、まずはゼニがむないと手紙もだせない。恥ずかしながら、ゼニがないと言った。後で現金書留で送ってきてくれた。

まず、不思議に思っていた分離と併合について聞いた。先生は「分離のほうが良かったでしょう」と言ってくれた。知人家族とも連絡がとれないと言ったら、「お兄さんの番号がわかれば電話するよ」と言ってくれたが、覚えちゃいない。

代表者のこと、破産管財人のこと、30分しか時間がないが色々話をした。後は手紙で何かとお願いすると言って面会は終わった。

ここから劇的に色々と進展する。

年末最終日に東京拘置所に移送

ヤクザの計算通りだった。28日に留置係が「留置品の服は全部洗濯しておいたからね」と言いに来た。一緒に荷物をまとめた。いよいよ明日、12月29日に移送だ。

朝、ムカデ状態で検察にみんなと一緒にバスで行き、拘置所移送の俺たちは検事調べのやつらとは、別部屋に待機になった。

東京拘置所につくと、所持品の調べがあり、留置され、定められた服に着替えた。そして、お椀や箸をバックに入れ、部屋につれていかれた。5〇〇9番と、やたら番号が長い。まだ未決勾留だから、扱いはひどくはない。配食や洗濯の説明を一通り受けた。明日から年末年始の休みだ。確か所持金が2,400円しかなかったが、700円で手紙セットを買った。学習参考書も読めるし、ラジオも聞けるし、未決だからお菓子も買える。この時、忘れもしない、箱根駅伝でずっと創価大学が1位で優勝を確実視していたが、なんと最終ランナーが駒沢に抜かれて、2位になった。こんなこともあるんだと思った。

お菓子が配られ、元旦はお節弁当が配られた。留置所とは違う。だからみんなが拘置所に行ったほうが増しだと言っていたのか。

4日から稼働だ。正月に考えたが、やれるだけのことはやろうと思った。まずは、躊躇していた、前勤務先の顧問弁護士に手紙を出した。拘置所は弁護士名簿も貸してくれる。これが的中。

確か1月中旬だった。刑務官がドアをあけて「弁護士だ」という。えっ、あのクソ弁護士が来たのかと思って面会室に言ったら、顧問弁護士がいた。

判決は実刑 クリスマスにギリギリ控訴 隣のヤクザに感謝

いよいよ判決の日だ。留置係が来て「執行猶予になったら、荷物どうしようか」と言いにきた。同室の27歳が「ほら、執行猶予ですよ」と言った。俺も内心、うれしかった。だが、判決は留置係が知る由もない。

裁判所について、法廷に連行されるとき「執行猶予になったら、ここから帰ってもらうしかないよな」と言っていた。この言葉も大いに励みになった。

で、判決は「3年、罰金80万、罰金が払えない時は、1日1万円換算ですから。いいですか、3年で80万円ね」と裁判長が言った。理由はムニャムニャと言って、だいぶ省略していた。

人をムショに3年入れるのに、このノリかい。このクソどもが。左陪審のねーちゃんは、ロングヘアーに手櫛を入れていた。クソ弁護士は「また、色々と相談しましょう」と言ってきた。それから会うことはなかったのだが。

待合室の檻に戻る時「これで東京拘置所に移送になるね」と言ってきた。俺は事情がわからなかったが、この場合はこうというように、セオリーがあるのだろう。

留置所に戻って、みんなが「どうだった」と聞いてきた。「3年実刑」と答えた。同室の27歳が、「こんなに良いひとが、なんで実刑なんだ」と言ってくれた。さて、どうしたものか。控訴するか。クソ弁護士に手紙を出しても、全く来ない。

常々、となりの房で俺の次に長くいる人には世話になっていた。次の日ロッカーから荷物をとり戻る時に歩きながら俺の房に向かって「今日、控訴申し立てしないと間に合わないよ」と教えてくれた。留置係から「話しかけるな」と言われても、教えてくれた。本当にありがたい。どうしたものかわからなかったが、彼が留置係に「あの人はわかっていない。控訴申し立てをするか聞いてやってくれ」と言ってくれたようだ。

留置係が来た。「控訴するよね。申し立ては作ってあげるから。速達で出さないと駄目だよね。お金あるよね」と言ってくれた。みんなに感謝。涙が出る。12月25日のことだ。何故か。

隣の房のヤクザは、こう推定した。「判決が出たから、年内最終で東京拘置所に移送になるだろう。となると、年末年始に差し掛かり、もう控訴は間に合わない。ということは、明日が土曜、明後日が日曜だから、28日に留置所から控訴申し立てを速達で送っても期限に間に合わない。だから25日の今日がラストチャンス」と計算したのだ。

ヤクザは頭が良い。