jetskix2のブログ

人質司法と闘う前科者

第二回 公判 弁論・論告とは知らずに行った

弁護士が法廷に遅れて来た。なんだこいつはと思った。

で、弁護士が負債もこれだけあり、督促が何通も来ているようなことを言った記憶がある。検察が、原告の陳述書を読んだ。早い話、これだけ被害者は可哀そうですよ。と言いたいわけだ。それで、間接的に「見せしめのため」と言いやがった。後で知ったが、求刑は3年6ケ月だった。耳がよく聞こえないから、ずっと3年と理解していた。

 

裁判長が「これで最後になりますから、何か言いたいことは」と尋ねて来た。あらかじめ頭の中で整理していたことを言った。弁護士が何も説明しないから、わからなかったが、いつ聞かれてもいいように自分で準備していたわけだ。

そして、裁判長が、次は12月の初旬だったと思うが期日を伝えた。

 

留置所に帰ってから、隣の房の人が「どうでした」と聞いてきた。みんな2回目は求刑と知っていたからだ。知らないのは俺だけだ。

「3年でした」と答えると、「執行猶予ですね」と言ってくれた。うれしかった。

弁護士に聞けば良いが、もう聞きづらい関係になっていたし、呼んでも全く来ない。

 

留置係に「確か3年と聞こえたのですが、良く聞こえなかったんですよ。私の求刑はどうなってますか」と聞いたら、それは我々もわからないとのこと。というか、そもそも弁護士に聞けということだ。

 

後で専門書を読んで知ったが、検察が求刑することを論告という。そもそも論だが、こんな無知で公判に臨んでいたわけだ。留置所は専門書は読めない。というか、差し入れもないし、ゼニない。

 

前に書くべきだったが、重要なことを言い忘れていた。差し入れはOKとして、連絡が取れたとしても、知人や家族とは会えなかった。基本、こういった案件は接見禁止がつく。つまり、刑事弁護士だけが頼りだ。この接見禁止は、第一回公判終了後に解かれた。これは定石だ。